第2話「深緑の戦士」

睦月は家に帰ってきていた。
「睦月どうしたの?また望美ちゃんに怒られたんでしょ?」
「別に・・・」
リビングで母が話しかけても睦月は素っ気無く返して自室への階段を駆け上がった。そして部屋の扉を開け真っ先に窓に向かった。カーテンを全て閉じ電気さえもつけない。薄暗い部屋の中で睦月は今日拾ったものを机に置いた。
(レンゲル・・・)
それを拾った瞬間に睦月は全てを思い出していた。あの公園で自分は「それ」と出会い。そしてその言葉を言われたことも。それが以前救ってくれた『彼』の持っていた物と似ていたことにも睦月は気付いていた。
「お前が俺を救ってくれるのか・・・?」
睦月はついそう言ってしまった。自分の心の中に潜む暗い過去というトラウマ。そしてそれはどこかすがりつくような声だった。


ハカランダで相川始は机を拭いていた。帰ってきてからまだ二日とたたないのにさも前から居たかのように手馴れた手つきで机とカウンターを拭いていく。
「ありがとう始さん」
遥香が礼を言った。始が帰ってきてからハカランダの空気もどこか和やかになったような気もする、そう彼女は思った。それは主に彼が帰ってきたことを喜ぶ小学生の『彼女』のせいだろう、それも遥香は気付いていたのは言うまでも無い。その時始は黒い影が店を飛び回るのを見た。
「あら?この時期にトンボ?早いわね」
遥香は店内を飛び回るトンボを指差した。おかしい・・・始はそう思った。この店の窓は全て閉じていたのだ。そのトンボは椅子の背もたれの上に止まりじっと−−−−どこか始を見つめているようにしていた。
「少し外で風に当たってきます」
そういい残して出て行った。そのトンボから発せられた声は始にしか聞こえていなかった。
それは恐ろしいほど冷淡な口調だった。
(カリス・・・貴様の弱点はわかっている。あの人間どもだ)

外に出た始は真っ先に気配を手繰り寄せようとした。周囲を見回して自分と同じ「気配」を持つ者を探し出す。しかしそれを感知することはできなかった。さらに範囲を広めようと深い集中に入ろうとしたその時、
「始さん大丈夫?何か怖い顔になってたけど・・・」
背後で少女の声が聞こえた。その声で始の意識も現実へと引き戻される。振り返ると天音がバスケットを持って立っていた。
「ううん。何でもないよ」
始は穏やかな表情を取り繕った。そして始はどこか天音の様子がおぼつかないと気付いた。
「天音ちゃんの方こそどうしたの?何か落ち着かないけど?」
少し間を置いてから天音はもじもじしながら言った。
「あのさ始さん。私とお昼食べない?おにぎり作ってきたんだ」
始は暖かい笑顔でこう答えた。
「いいよ」
それを聞くなり天音の顔にも笑顔が戻った。そんな穏やかな昼下がりだった。

3時ごろであっただろうか、一台の車がハカランダに止まった。そこから出てきたのは険しい顔をした虎太郎だった。その後に続いて剣崎と栞は虎太郎の脇に挟み込むように立った。
「いいか、天音ちゃんたちにはあいつの素性明かすなよ?」
剣崎は確認するように虎太郎に聞いた。
「うん。でも上手く出来るかどうか・・・」
「それに彼から聞きたいこともたくさんあるんだから」
剣崎は虎太郎の肩を叩いて笑顔を作った。
「ほら、笑顔笑顔」
「スマイルスマイル」
栞も剣崎に倣って笑顔を見せた。それを見た虎太郎もどこか引きつった笑顔を見せた。まぁ大丈夫だろう。そう思いながら剣崎は店へと足を運んだ。

「いらっしゃいませ」
出迎えたのは遥香だった。始はというとカウンターに座りながら誰にも悟られないようにしながら虎太郎をじろりと睨みつけた。
「あぁ帰ってきてたんだな」
さっきのスマイルの練習も形無しだった。感情を抑えたまま虎太郎はぶっきらぼうに始に言った。それを見ていた天音は虎太郎を睨んだ。
「なんか偉そう。聞いて始さん。虎太郎ってねすっごく怖がりだったの。10歳まで一人でトイレに行けなかったんだって〜」
「ちょ・・ちょっと天音ちゃん」
「そうよねお母さん?」
「そうねぇ」
遥香は笑みを浮かべながらお盆にグラスを乗せ始に渡した。
「姉さんまで・・・」
そんな三人のやり取りの中始は静かに剣崎と栞の座る席に向かった。そしてグラスを置くときを見計らって二人にしか聞こえないような声で言った。
「あいつに言っておけ。これ以上余計なことを言えば許さないと」
「おい、待てよ」
剣崎も小声になって始に話しかけた。栞も小声で続いた。
「私達あなたに聞きたいことがあるの」
「俺には無い。君たちと話すようなことは・・・」
そのとき始は窓の外に目を向けた。そこにいたのは例のトンボ。そしてそのトンボはまるで誘うかのように飛んで行ってしまった。始は急いでお盆をカウンターに置いてこう言った。
「少し出かけてきます」
「え・・ちょっと始さん!?」
「すぐに戻ってきます」
そして始がハカランダから出て行くや否やアンデッドサーチャーが反応を示した。
「アンデッド!」
天音と遥香に聞こえないように栞が囁いた。
「じゃああいつ先にそれをキャッチして・・・」
「急いで。街中だわ」
「よっしゃ!」
気合を入れて剣崎も出て行った。その一連の様子を見ていた虎太郎の内心はまだ複雑だった。
(あいつはアンデッドだからサーチャーよりも早く気付いたんだ・・・)


始は目の前に飛ぶトンボの姿を追っていた。
(カリス・・・来い・・・)
その声がトンボから聞こえてくる。バイクに跨る始の腰にハートのシンボルが掘り込まれたベルトが現れた。そして片手に握られているのは一枚のカード。
「変身!!」
『チェンジ』
始はカードをバックルの溝に通す。その途端見る見るうちに始の体、そしてバイクまでもが透明な液体に包まれていく。しかし包まれた液体は一瞬にして弾けそこにいたのは漆黒の戦士だった。金のライン、そして赤いハートのマスク。それが聖杯の名を持つ『カリス』の姿だった。カリスはバイクのハンドルを切りビルの中に入りモトクロスのごとく屋上へと向かった。

「来たか」
ドラゴンフライは飛んできたトンボを捕まえた。そのトンボはうっすらと消えていく。それは待っていた奴がここにきた証でもあった。バイクのエンジン音が徐々に近づいてくる。そしてドアを蹴破りそいつはやって来た。
「今度ばかりは逃さないぞ・・!!」
カリスの体から滲み出る怒りがもはやオーラとなって噴出すようにも見えた。問答無用とばかりにカリスは駆け出した。その手には武器であるアローが召還される。アローを振りかぶり正面に振り下ろす。それを右側に楽々とかわしてからドラゴンフライは右腕を構える。しかしカリスは複眼でドラゴンフライの動きをしっかりと捉えていた。そのままアローを傾かせて横にいるドラゴンフライを一気に薙ぎ払おうとする。

ジジ・・・

虫が羽根を羽ばたかせるような音と共にドラゴンフライは空を駆けていた。そして背を向けさらに羽ばたこうとしたとき
「!?」
急に背中に重みと衝撃が走った。首を後ろに向けるとカリスがドラゴンフライを羽交い絞めにした状態で張り付いていた。逃がさない、その執念がカリスを突き動かしているようだった。そのまま空中で体勢を崩しドラゴンフライとカリスはそこから徐々に高度を下げながら移動し始めた。

その姿は剣崎も見ていた。
「あいつ何やってんだ!?」
剣崎はポケットからバックルとカードを取り出した。そしてバックルにカードを装填しベルトがそこから伸び剣崎の腰に巻きつく。ハンドルを切り再び走り出すと同時に剣崎はレバーに手を掛けた。
「変身!」
『ターンアップ』
青白いスクリーンが前方に出現する。それを通り抜けた瞬間には剣崎姿を変えていた。剣を意匠としたライダー『ブレイド』は空にある黒い影を追った。

それはまるで小さな隕石のようだった。突如それは空から降ってきた。それも街中、人がにぎわう場所で。
「何だあれ?」
そう一人が口にし次々と伝染したウイルスのように広まっていく。やがてその影が大きくなり黒い塊が地面に激突した。そこに誰もいなかったのが不幸中の幸いだっただろう。それでも煙を上げる中から唸り声が聞こえてくるのを大衆は聞いていた。そしてその煙の中からドラゴンフライとカリスが姿を見せたときそこは悲鳴が覆い尽くした。

それがブレイドの見た光景だった。逃げ惑う人たち、そして誰もが避ける場所があった。ブレイドはそこに入り込んだ。
「止めろ!関係の無い人たちを巻き込むな!」
しかしカリスは聞く耳をまったく持たない。カリスのアローに半透明の矢が精製され構えた。
「!!」
もし流れ弾が民間人に当たれば只ではすまない、そうブレイドは思いカリスの矢が発射される延長線上に行った。放たれる矢、しかしそれはドラゴンフライに当たることは無くすべてブレイドに命中した。
「ぐぁ・・・」
胸に突き抜ける衝撃に耐えながらブレイドはカリスとドラゴンフライに割り込んだ。
「やめろ!!」
「邪魔だ!!」
それでもカリスは止まるところを知らない。ブレイドを払いのけ尚ドラゴンフライを斬りつける。その姿を見てブレイドは思った。あそこにいるのはもはや人間とは言い難い。まるで、そう、本能の赴くままに動くまさに、
「あいつは人間じゃない!獣だ!!」

その場所に一つの姿が迫っていた。バイクを駆るその姿は『彼ら』と似ている。

それは深緑の戦士だった。

やがてその広場にはたった三つの姿だけとなっていた。呆然と見つめるブレイド、そしてドラゴンフライを斬りつけるカリス。流れはカリスに一方的に傾いている。それでもカリスはアローを振るった。そしてドラゴンフライを蹴り飛ばし腰のバックルをアローに装着、さらにホルスターからカードを二枚抜いた。
『ドリル』
『トルネード』
周囲に吹いていた風が進路を変えてカリスに集約されていく。まるで暴風だった。
『スピニングアタック』
体中に纏わりつく風が全てを薙ぎ払おうとする。まるで小さな台風だった。その風をまといカリスは駆け出す。一歩、二歩、そして三歩目でカリスは跳びあがった。地面と平行になるように空中に跳んだとき風が一気に解放されカリスの体は錐揉み回転しさらに加速する。その一本の矢がぼろぼろのドラゴンフライの胸に直撃する。胸を抉り血が飛び散らせながらドラゴンフライは吹き飛ばされた。壁に叩きつけられバックルが開く。それは封印を示すものだった。が、着地したカリスはアローを構え走り出した。
「っらぁ!!」
二度とその羽根が羽ばたくことは無いようにカリスは羽根を切り刻んだ。さっきの一撃ですでにドラゴンフライはボロボロだった。それでもカリスは止まらない。ブレイドは声を上げた。
「止めろ!!もう十分だ!!」
「あの家に・・・あの家に・・・!」
カリスは怒りを含ませた声を上げた。その中でもカリスは攻撃の手を緩めない。
「あの家に誰も近づかせない!!」
それはまさに『戒め』だった。ハカランダに近づけばどうなるか、それをありありと見せ付けるようにカリスは武器を振るう。最後とばかりカリスはアローで真横に薙いだ。虫の息のドラゴンフライは吹き飛ばされ倒れこむ。そしてカリスはホルスターからブランクのカードを抜きドラゴンフライに投げつけた。それがドラゴンフライに触れたときその姿はカードに吸い込まれるように消えていった。手元に戻ってきたカードにはトンボのデザインが描かれていた。
『4 フロートドラゴンフライ』 飛行能力。

「俺にはわからない」
ブレイドは静かに言った。
「ひょっとしたら一緒に戦えるかと思っていた・・・」
「俺は誰とも組まない」
「でも、天音ちゃんたちを守るために!」
「それでも俺は組まない!!」
カリスは声を張り上げた。そして、
「俺は俺のやり方しか知らない・・・」
静かにそう付け加えた。
「そうだな。無理なんだよな・・・」
ブレイドがそういったその時だった。突如暗雲が垂れ込めた。
「!?」
カリスも驚いたように顔を上げた。気配が一つ近づいている。
「これは・・・」
ブレイドも少し感じていた。薄暗い中でも確かに分かる圧倒的な存在感。その方向に目を向けた。

誰かが歩いてきていた。薄暗い空の下、そいつは人の姿ではなかった。カリスはその姿を見て呟いた。
「お前か、ついに現れたってわけだ」
その身を包むのは所々クラブのシンボルがあしらわれた甲冑、そしてマスクの部分には蜘蛛のような紫色の瞳。
アボリジニにおける『棍棒』を示し同時にトランプにおける『クラブ』をモチーフにした最後の戦士。後に言われる、その名は『レンゲル』と。