第8話「とある少年の日常」

そこは酷く暗い場所だった。目の前の景色は一切無い一寸の闇。唯一見えるのは自分の体だけだった。右掌をふと見てみると、
「・・・!!」
その手が急に闇に溶けたのだ。まるで闇と融合するかのように消えて行く。そして見る見るうちに右腕はおろか、左腕までも闇に消えていく。
「・・・!!!!」
声を出そうにも声が出ない。口までも闇に同化してしまったようだ。腕、脚の感覚は消えていたが必死に思考することで抗おうとする。だがその甲斐も空しく自分の視界がどんどん暗くなっていく・・・深い闇に取り込まれていく。そして力尽きて目を閉じようとしたとき・・・
「・・・はあっ!!」
上條睦月は目を覚ました。視界に天井が入ってきた。空気がやけに新鮮に感じられる、声がでる。上半身を起こして体を確かめてみた。大丈夫、何の支障も無い。
「・・・夢か・・・」
しかし夢と呼ぶにはあまりにもあの光景が現実味を帯びていた。いまさらになって気がついたが体中汗びっしょりだ。睦月はベッドから降りてカーテンを開けた。まだ陽は昇っていない。カーテンを閉めてベッドに座った。さっきの夢のせいで目が冴えてしまった。もう一度眠ろうとしても寝付けないだろう。
「・・・」
睦月は何も言わずに床を見つめていた。何故か小さい頃の感覚が蘇ってくる。しかしその記憶は残っていない、自分がまだ小さい頃だったからだ。だがその時の感情だけは脳の片隅に残っている。そしてそれはさっき睦月が見た『夢』と酷く似ていた暗い闇にいるような気分だった。

その日、睦月は授業があった。今の睦月17歳、高校三年生になると色々押し迫ってくるものがある。学生の本分とも言うべき勉強に対しまだ緊迫感が無く、そのせいか漠然とした未来のビジョンも浮かばない。いったい自分が何をしているのか、どこにいるのか想像も付かない。とにかく漫然と過ごすしか手が無く寝不足気味の頭を無理やり起動させて睦月は家を跳びだした。

「頭が重い・・・」
気分が全く冴えない。これでは1時間目をすべて惰眠で過ごしてしまうだろう。望美との約束に間に合わない、睦月はさらに足を速めようとした、が、
「うぉわ!?」
走っていた睦月の体が突如バランスを崩した。これも不運か、足がもつれてしまったようだ。よろけた体の体勢を必死に戻そうとする。その時誰かに肩がぶつかってしまった。
「す・・すいません」
「お前何やってんだよ!!」
ぶつかられた方は明らかに切れていた。それも茶髪やら金髪やらガラが悪そうな奴らばっかりだった。
「す、すいません!!」
睦月はもう一回誤って背を向け歩き出そうとした。しかしその体が全身する前に睦月の肩に手が置かれた。そのまま180度回転してまた金髪の兄ちゃん達と目を合わせる。
「すいませんで済んじゃ警察はいらねえんだよ!!怪我してたらどうするつもりなんだ、ああ?」
そして胸倉を掴まれ睦月はどこかへ連れて行かれてしまった。

それから10分ほど経ったことだった。いつもの場所で望美は腕時計を眺めてため息をついた。
「遅いぞ・・睦月」
本当ならとっくに来ているはずだった。きっと寝坊でもしたのだろう。そう思い先に行こうとしたとき、
「待ってくれ望美・・・」
切れ切れとした声が聞こえてきた。振り返ると睦月が息を切らせていた。
「睦月、遅いじゃない!寝坊でもしたの?」
「ちょっと色々あってさ・・・」
そう言って二人は歩き出した。なんでもない至って普通の時間だった。『普通』に見れば当たり前の光景だろう。そうだ、誰も気にしないはずだ、『睦月が何故遅れたのか?』なんてことは。


とある路地裏でうめき声が聞こえていた。
「ぐ・・・いってえ・・・」
数人が壁やゴミ箱にもたれていた。体中ボロボロで擦り傷が顔中にあった。金や茶に染めた髪も今では形無しだった。その姿はあるものが見ればぶつかった
少年に絡んでいたチンピラたちだと気づいていただろう。
「いったい何だったんだ・・・ありゃ・・・」
そのうちの一人がつぶやいた。あっという間の光景だった。少年を路地裏に連れ込んだかと思えば胸倉を掴んでいた腕を強引に引き剥がされ、ものの数秒でそいつをノックダウンさせたかと思えば一人は壁に打ち付けられ、また一人は腹を蹴られ・・・ものの数分で自分たちを倒してしまった。

その少年は今、数少ない女友達と共にいた。