第10話「鍛える体」

バッティングセンターの中は開店したばかりで客もあまり入っていなかった。向こう側にはピッチングマシンがスタンバイしている。
「あのー動体視力って一体何をするんですか?」
「ここだ」
橘は一番奥のドアを指差した。そのドアを通り抜ければマウンドを模したスペースに行きマシン相手に練習できるものだった。
「バッティングの練習でもするんですか?」
睦月は思わず聞いた。確かに動体視力を鍛えるなら速いボールを打つバッティングは適しているかもしれない。が、睦月がマウンドに行くとそこにはバットが一本も無くミットが一つ置いてるだけだった。
「あの・・・これは・・・?」
「まあ見てろ」
そう言って橘はグラブを左手につけた。そしてコントロールパネルのボタンを押すとマシンが動き出した。ボールが上へと持ち上げられバネを利用して射出される。しかも結構なスピードだ。
「3!」
橘の声とミットがいい音を立ててボールを収めたのはほぼ同時だった。ミットから取り出すと軟球には『3』と書かれていた。
「こんな具合だ。時速145キロで射出されたボールに描かれた数字を読む」
橘はあっさりと言ったが睦月はそうもいかない。
「それって不可能じゃないですか!?しかもそれがライダーとどう関係があるんです?」
「動体視力ってやつは一番欠かせない要素だ。相手の動きを見切り、読み、そして動く。それが出来ないとまず話にならない」
要は初歩の初歩ってやつだ。睦月はこんなの出来るわけ無い、そう思った。
「とにかくやってみろ」
そう言われて睦月はとりあえずミットをつけて立った。橘がボタンを押してマシンが動き出す。そして軟球が発射された。
「5!」
ボールを取ることも忘れて睦月は言った。ボールは後ろのボードに当たって床に転がった。橘はそれを拾い上げて言った。
「でたらめを言うな」
厳しい一言が飛んできた。ボールに書かれていたのは『13』だった。
「当てずっぽうで答えていいもんじゃない。もっと必死になってみろ」
(鬼だ!!)
睦月は心の中で叫んだ。


しかし幾ら必死になってみてもボールの文字は見えそうに無い。ボールをグラブで取ろうとしても速すぎて取れそうにも無い。仮に取ることが出来ても反動が痛い。
「っていうかこれできたら俺プロ野球出れるんじゃ・・・」
睦月は思わず橘のほうを見た。橘はと言えば隣でボールを気持ちいいくらいにかっ飛ばしていた。睦月も色々試してみた。時にはバッターボックスに立ち打者の目線からみたり、またある時はベース最前まで行ってみたり。しかしボールは一向に数字を見せてくれない。二時間ほどたってついに、
「こんなの無理だ絶対・・・」
ついに睦月はミットを投げ出してドアを開けた。しかしバッティングを終えた橘がその前のパイプ椅子に腰掛けていた。
「逃げるのか?」
睦月は答えることが出来なかった。それに構わず橘は言った。
「一つだけアドバイスだ。次の一球、集中して見てみろ」
「集中って・・・しても見えないですよ・・・」
半ば諦め口調の睦月は言った。
「君が思う以上に、だ。君はいつもどんな状況で集中する?それを思い出せば体がついて来てくれるはずだ」
渋々睦月は戻った。そして考える、集中?・・・いつと言えばやっぱりバスケットだろう。そして睦月はあの時の試合を思い出した。相手選手の様子が手にとるように見えたあの感覚、睦月は必死にそのときの事を頭に念じた。マシンが再び動き出しボールが飛び出す。そして睦月は見た、ボールがさっきよりもゆっくりと見える!距離が近づくごとに像が鮮明になる。だが描かれた数字とまではいかず軟球はミットに納まった。
「・・・」
睦月は呆然としてミットに入ったボールは見た。さっきと比べて球速が遅くなった気配は無い。だがさっきまでとは格段に違う、もっと見える!
「・・・よし!」
睦月は機嫌を取り戻し再びピッチングマシンに向かうのだった。

その様子を見ていた橘は、
「ようやくコツを掴んだな・・・」
面白そうな声で呟いた。橘は只、『集中しろ』と言っただけだ。あまりにも精神論のように聞こえたがそれだけで充分だった。適合者は少なからず仮面ライダーとしての力、すなわちカテゴリーAの力の影響を受ける。それは橘や剣崎にも現れていることで証明済みだ。無論睦月にもその影響が出ているのは言うまでも無いだろう。それはおもに適合者の身体面に働きかけ、体が丈夫になったり、力が強くなったりする。ただ剣崎より栞のほうが力持ちなのは例外だ。だがその力を多少使えなければあんな速球の球の回転なんて読めはしない。
「8!!」
睦月の声が聞こえてきた。グラブできちんと受け止めた球にはその言葉どおり『8』と書かれていた。睦月はにっこり笑って橘の方を見た。
「よくやった」
橘も笑顔で返した。時計を見るとちょうど昼時。3時間程度の特訓だったが成果は十分に現れていたと言えるだろう。予想以上に早い、橘は内心では驚いていた。
「そろそろ昼飯にでもしようか。近くにおいしいスパゲティの店があるはずだ」


昼食も程ほどに終え、今度は竹やぶの開けた場所に来ていた。
「今度は何ですか・・・?」
橘はといえば肩に釣竿をいれるようなケースを担いでいた。それを降ろして中からとある物を取り出し睦月に放った。
「これだ。次は武器を学んでもらう」
睦月が手にしたのは身の丈程度の細長い棒だった。睦月の身長は平均な男子高校生よりやや高いこともありその棒はかなりの長さだった。橘も似たような真っ白の棒を手にしていた。
「もともと合気道とか杖道で使う杖なんだがこれで充分だ。レンゲルの武器、杖を徹底的に知ってもらう。杖の利点は?」
唐突な質問に睦月は面食らった。睦月は少し悩んでから、
「リーチの長さ?」
「そうだ、それが一番大きい。剣では届かないような距離も杖なら届く。という訳だ、今から君と本気で打ち合う」
睦月はかなり驚いた。睦月がやっていたのはバスケットであって合気道や杖道ではない。もちろんこんな木の棒を手にしたのも初めてだ。
「俺杖の使い方とか全くわからないんですけど!?」
「大丈夫だ。何回かやればどうすればいいか分かってくるはずだ」
(鬼だ!!)
睦月は再びそう思ってしまった。

「あの・・・打ち合ったりしたら怪我しませんか?」
いざやるとなって睦月はそう口にした。その問いに橘は答えた。
「大丈夫だ。ちゃんと寸止めで止める」
そういう問題ではない、睦月は切実に思った。
「いや・・・それもありますけど橘さんが怪我したら・・・」
「させられると思うか?」
今度は挑戦的な感じに言った。橘は杖を軽い手さばきで回す。まるでどこかの斉天大聖のようだ。橘の挑戦的な言葉に睦月はムッとして腰を落とした。型なんて知らない、ただ自分が思うままに。
「そうだ、それでいい。行くぞ!」
橘は半身に構えて杖を突き出してきた。片手で突き出しもう片方はそれを支えるレール、もっとも基本的な突き。バッティングセンターで鍛えられた動体視力で睦月はそれが見えた。睦月はそれを避けて橘の死角にまわりこむ。そして杖を片手に持ち真っ直ぐに突き出した。だがそれが橘の横っ腹に当たる前に橘も動いていた。睦月の動きを予想していたかのように転身し睦月を向く方向になった。そして杖を首筋めがけ振り下ろしそして寸止め。
「これで一回目だ。この調子だとどこまで増えるかな?」
開始10秒も経っていない。あまりにも早すぎた。睦月はその返答をする代わりに後ろに引いて体勢を立て直して突っ込んだ。今度は杖の端を持ち最大のリーチで振るった。遠心力で速く、かつ強力になったそれを橘は後ろに下がって避けた。だが睦月はなお前進し今度は振るいきった杖を左手でおさえて逆手になる形で繰り出した。橘はそれを杖で受け止めた。木と木がぶつかる軽い音がして睦月の手にしびれが走った。その一瞬を橘が見逃す訳は無く睦月の杖を下方にいなしてこちらも逆手になる形で杖を突き出していた。
「これで二回目だ」

それから日が暮れるまでやっていたが到底追いつけるわけも無かった。橘のカウントが3桁に達したところで今日は終了した。無論橘に一泡吹かせることは言うまでも無い。去り際に橘が、
「明日は・・・そうだな11時頃に来てくれ」
(鬼だ・・・)
睦月は三度そう思った。そして疲労でくたくたになった体を引きずって家に帰るのであった。