prologue

そこは恐ろしいほど静かな場所だった。人の気配が一切ないと思わせる不気味な程に静かな廊下。だが、

カツカツ・・・カツ・・・

その廊下をたった一人の男が歩いていた。スーツを着たどこにいる普通の男を思わせる。そして廊下の最奥にドアがひとつだけあった。男はそのドアを開け部屋に入った。
「・・・」
さまざまな生物の標本やサンプル、さらにパソコンとDNAの立体モデル、そしてさまざまな機械が置かれ一見すれば普通の研究室だった。

否、"そう見えただけだった"

よく見れば部屋の壁に何かが貼り付けてあるのが見える。さらにその写真を見ればそれだけで異様だった。男はその中から一枚の写真を剥がし手に取り研究室の奥に向かった。その先にあったのは巨大な扉だった。研究者やその筋の人には分かる、これは巨大な冷蔵庫だと。その扉には一つの小窓がついていた。男はその窓を覗き込みこう言った。
「これが剣崎一真君だ・・・いい男だろ?」
写真に写っていたのは剣崎一真という男だった。さらに壁の写真全てにその男の姿が映っていた。まるで剣崎一真の一片たりとも逃さないように。
「だが彼は許されない存在だ・・・」
男はずっと小窓の中にいる『何か』に話しかけていた。その人でない『何か』は、
「ケンザキ・・・カレハ・・・・ユルサレナイ」
片言でそう言った。それを聞いた男はかすかに笑みを浮かべていた。


夜の街、人ごみの中に少年がいた。金髪で薄くて真っ赤なジャケットを羽織り、左手首には何の趣味なのか擦り切れた布のようなものが括りつけられていた。カメラのついた携帯がようやく普及し始めさらにその機能が目まぐるしく進化していく時代の中、少年は最新の機種を片手に

パシャッ

写真を撮りまくっていた。ただし撮っているのは夜の町並み、夜空やネオンなどではない。
「・・・」
被写体はいら立っていた。当たり前だ。いきなり笑いながら写真を撮られたりしたら誰だっていい気分はしない。三度目のシャッター音の後、短気な部類に入る男は少年の胸倉をつかんでいた。
「おい」
怒りを含んだ男の声。少年は一瞬だけ呆けた顔をしてどこにそんな力があるのか、男の腕を空いている細い腕で解き

パシャッ

軽い音がした。無論、携帯のカメラだった。男の頭に昇った血が沸騰しそうになっていた。
「っ・・・こいつ!!」
男は拳を振り上げた。そこから見えてくる結果は大方の者にはわかる。だが現実は違っていた。男の拳は空を行く羽目になった。なぜなら、
「ははっ、僕はこっちだよ」
少年は易々と男のパンチをかわして笑いながら人ごみに紛れて行った。
「待ちやがれ!」
男もその後を追う。だが少年はなかなか捕まらない。そして人込みをかき分けた男は開けた場所に出た。
「どこだ・・・どこ行きやがった」
まだ収まらない男に次の情報が飛び込んでくる。だがそれは少年の姿でも、ましてや携帯のシャッター音でもなかった。鋭い音とまぶしい閃光、そして迫り来るのは本能的に、確かに感じる『死』という概念。そこで男はようやく気付いた。

---たったいま自分が飛び出したのは道路だったのだと---

現場は騒然としていた。血を流し動かない倒れた男とトラック。周囲の人たちは囁き合いながらその様子を立ち止まって見ていた。だがその中にあの少年がいた。
「うわっ。マジですげえ!」
またしても軽い音。そして少年の口は確かに笑っていた。


また別の場所では
「君、身分証明書は?」
二人のお巡りさんに呼び止められる一人の少年がいた。顔立ちからすれば何となく高校生とわかる。夏で暑いのに黒いハットにジャケットを着ていた。そして少年は何も答えない。
「君聞いてるの?こんな夜中に出歩いて・・・身分証明書は?」
もう一度聞き返すと少年はようやくポケットをゴソゴソと探り出した。そして取り出したのは、
「何だそれは。ふざけるのもいい加減にしなさい」
取り出されたのは蜘蛛が描かれたカードだった。お巡りさんには『それ』が何なのかわからない。そしてそれを取り上げようと一人が手を伸ばした瞬間だった。少年は男の手を急に取って引っ張り露わになった首筋の後ろにカードを指に挟み手刀を落とした。一瞬で一人が意識を失う。あまりの唐突さに若干遅れた片割れが、
「き、君いったいなに・・・」
そういったときには手遅れだった。ひるんだすきに少年はさっきの男と同じように真横に手刀をふるった。崩れ落ちる男二人、それ以上興味はないとばかりに少年が立ち去ろうとしたとき、
「へえ。本当にその子の意思も体も乗っ取ったんだ・・・カテゴリーA」
背中で声がした。すぐに少年は振り返ると腰にはさっきまでなかったベルトがつけられていた。
「変身」
『オープンアップ』
紫色のスクリーンが少年の前に現れそれを通り抜けた。名はレンゲル、深緑の戦士。レンゲルはさっき警官が乗っていたパトカーに手をかけ力の限り動かした。常人なら動くはずのないそれが動き出し金髪の少年に向かう。しかしそれも少年は片足で止めしまった。普通ならあり得ない。
「貴様・・・」
ドスの効いた声がレンゲルから発せられる。たいして少年は余裕そうな笑みを浮かべたままだった。そして携帯のカメラで写真をおさめる。
「上城睦月っていう子の意識は消えたのかな。まいっか、どちらにしろ僕は戦うつもりはないよ」
それだけ言うと少年はまるで闇に溶けるようにその場から消えてしまった。


ここからまたしても次の話が始まる。始が了という謎の存在に出会ってから二週間くらい経った後、夏が終わり秋の到来を告げている頃合いだった。ある意味では、今までの戦いはまだまだ序章に過ぎなかったのかもしれない。これからが本当の闘いなのだと。僕はそういった意味を込めてこう名付けようと思う。
第三部「迫りくる者たち」

確かに閉じ込めて 奇跡 切り札は自分だけ