夏に咲いた蘭

カテゴリー2

次の日、僕は朝から上機嫌だった。でも昨日の晩御飯で剣崎君がうっかり漏らすもんだから広瀬さんがにやにやして食いついてくるのは困った。だからその嬉しい感情を隠していつも通りの表情でいることにした。いつものように牛乳を飲んでテレビを見たりしていた。これなら大丈夫。と思ったけど、
「どうしたんだ虎太郎?何かいい事でもあったか?」
どうやら行動の節々に出ていたらしい。僕は何でも無いよ、と返した。それ以上詮索する気も無いのか剣崎君もそうか、と言って手にしていた新聞に目を向けていた。そんな彼にホッとしつつ僕は時計に目を向ける。時計は10時を指していた。そろそろ時間だな。
「僕ちょっと出かけてくるから家の鍵よろしくね」
「おお、行ってらっしゃい」
剣崎君は新聞に目を通しながら答えた。新聞を広げて見るその姿はどこか親父臭い気がして僕は笑みを浮かべてしまう。なんでもない光景の筈なのに笑ってしまうのはきっと僕の気分がハイだからだろうな。そうして居間のドアを開けて玄関に向かう。そこに、
「へぇ〜どこに行くの、白井君??」
面白そうな笑みを浮かべていたのは言うまでも無い、広瀬さんだった。昨日と同じように僕はだんまりを決め込んで靴を履く。そしてドアを開けた。屋敷の脇に向かっていつものマウンテンバイクの鍵を解いて漕ぎ出した。夏の暑い空気が風に乗って頬に当たる。そして僕はチェンジを変えてさらに自転車を加速させた。

「怪しいわね・・・」
居間に入ってきた栞は開口一番にそう言った。剣崎は新聞から顔を上げた。
「何が怪しいんだ?」
それを聞いた栞は若干呆れるような目で剣崎を見た。
「鈍いわね・・・白井君が何処に行くかわからないの?」
「分かるわけないだろ。そんなの本人に聞いてみたらいいじゃないか」
「聞いたけど答えてくれなかった。きっと白井君は昨日会った女性に会うつもりなのよ。昨日の白井君の慌て方だから間違いないわね」
「それがどうしたんだ。俺達が虎太郎の後でもつけるのか?」
「そうよ」
栞は当たり前だとでも言わんばかりだ。剣崎は新聞を机に置いて考えた。剣崎には昨日の上級アンデッドが気になっていた。あの矢沢と言う男がいつ襲ってくるか分からない、しかしここでじっとしていても仕方ないだろう。そう思い剣崎は頷いて立ち上がった。


僕は自転車を止めた。目の前にあるのは僕の姉が開く喫茶店だった。その名は「ハカランダ」。ここに来るのは正直気が進まなかったのだが致し方ない。そして自転車に鍵をかけて扉を開けた。
「いらっしゃい。あら、虎太郎珍しいわね」
入ると姉さんがカウンターでコーヒーを淹れていた。そのカウンター席には夏休みに入ったばかりの小学五年生の姪がいる。
「虎太郎何しに来たのよ?また始さんいじめに来たの??」
僕は思わず苦笑いを浮かべてしまった。いい加減叔父さんに向かって呼び捨ては止めて欲しい。でもまだまだ若いから「さん」付けされても複雑な気分でもある。もう少し老けてから呼ばれた方がいいかもしれない。今度は天音の言った男の方へと目を向けた。
「・・・いらっしゃい」
お客に飲み物を運んでカウンターに戻ってきたそいつは素っ気無い口調で答えた。名は相川始。仮面ライダー、カリスに変身してアンデッドと戦う彼もまたアンデッド。アンデッドだという彼がここに居候する理由は僕も知らない。そんな彼を僕はもちろん信頼できるわけが無い。彼もそれをわかっているのだろう、その答えがさっきの挨拶だ。
「ああ・・・」
僕も素っ気無く返した。横から天音の視線を感じつつ僕はコーヒー一杯、と言って適当な席を見つけて座った。時間を確認すれば約束の時間までもう少しあった。すぐに始がコーヒーが運んできた。
「コーヒーです」
どうやら相手は徹底的に無視を決め込んでいるらしい。それならいっそのこと清清しい気もするから僕も気が落ち着くというものだ。とりあえずミルクを多めに入れて一口飲んだ。やっぱりコーヒーも悪くない。
「いらっしゃいませ」
カランと音がして客がまた一人入って来た。その客は僕を見ると笑顔でこっちに向かってきた。それを見て僕もついつい笑顔が出てしまう。
「ごめんなさい。待たせましたか?」
「大丈夫。僕もたった今来たところだから」
笑顔を浮かべた女性、みゆきさんは向かいに座った。今日出かけた目的がまさにこれだった。晩御飯の後に電話があってそれを聞いた僕はまたしてもダイブしたような気分になってしまったのは言うまでも無い。すぐに始が水を置いてみゆきさんをチラッと見た。その途端、
「・・・?」
僕は何故か寒気がした。突然の寒さに体が震えてしまう。
「じゃあ紅茶をお願いします」
オーダーを済ませて始が行ってしまった。行ってしまった後に気付いた、あの時の始の目がとても冷めたものだったことを。でもどうして?
「どうかしましたか?」
そんな僕の様子に気付いたのかみゆきさんが聞いてきた。
「うん、何でもないよ。コーヒーが少し苦かったかな、って思っただけ」
取り留めのない嘘でごまかした。さっきの寒気を拭おうとコーヒーに少し砂糖を入れてまた飲んだ。暖かいコーヒーで気持ちも落ち着く。
「いらっしゃいませ」
姉さんがまた客に明るい笑顔を向けていた。


「どう思うあれ・・・」
「どうって・・・すごく楽しそうだな」
剣崎はサングラスを下げて離れた席を見た。その席にいるのは言うまでも無い、虎太郎と昨日いた女性だった。栞は帽子のつばを上げて剣崎と同じ方を見ている。二人は虎太郎に気付かれないように帽子とサングラスをして変装して店に入っていた。遥香や天音にはもちろん黙ってもらって。そして人相の約七割が目で決まるというから、サングラスをかけていれば大丈夫と思ったのだろう。事実、それは虎太郎が気付いていないのだから。
「何話してるかは分からないけど確かに楽しそうよね」
「お前たち、何をやっている」
二人の背後で冷たい声が聞こえてきた。突然言われたものだからガチャリと音を立てて振り返ると始がいた。別の客のオーダーを運んでカウンターに戻る途中だったのだろう。二人が来たときは始は虎太郎の席でオーダーを取っていたから知らないものの一発で見抜いていた。
「何って、尾行さ」
剣崎は声を潜めて言った。始は虎太郎のほうをちらりと見て、ふんと鼻で笑った。
「ばかばかしい」
少しはそういう話が気にならないのか。剣崎がそう思ったとき、始がさらに声を落として二人だけに聞こえるようにささやいた。
「あの女は気をつけておいたほうがいい」
「何だって?」
剣崎がしばし呆然とした後口を開いたのだがそのときにはもう始はカウンターに戻っていた。一体何のことだ?剣崎が考えを巡らせていたとき隣で栞もささやいた。
「白井君が移動するみたいよ。私達も行かなくちゃ」
その言葉で剣崎は思考の作り出す世界から現実世界に引き戻された。見ると虎太郎と女性が立ち上がって店を出ていた。栞はその後を付けるようだ。だが剣崎にははっきりとしておきたいことがある。
「広瀬さん、先に行っててください。俺は後から行きます」
剣崎は始の方をちらりと見た。始は下の自室に向かっている。丁度いいとばかりに剣崎は始の後を追った。


僕とみゆきさんはハカランダを出た。意外と言うか、みゆきさんから行こうと切り出した。僕としてもせっかくだから別の場所に行きたいと思ってから願ったり叶ったりだから構わなかった。しばらく会話が無く歩いていたら、
「あの店員凄く感じ悪く無かったですか?」
みゆきさんが口を開いた。店員、と言われれば始のことだろう。
「確かに無愛想な奴でしたね。もっと笑顔で応えないと気分悪くなりますよね」
率直な意見だった。あいつは無愛想すぎるんだ。それでも、僕の感じたあの冷たさは異常だった気がする・・・いや、とにかくそれは忘れよう、僕はそのことを頭の片隅に追いやった。
「で、これからどうしますか?僕としてはどこでも構わないんですけど」
「私もどこでも構わないですよ」
そうして着いたのはハカランダから最寄の駅だった。でも駅と言ってもその周辺は結構店があって人がにぎわっている。ぶらぶらするならここほどもってこいな場所は無い。
「ここらへんの店練り歩くなんてのはどうですか?結構色々あって面白いんです」
僕もここに来たのは久しぶりだ。本屋とかも寄ってみたい。みゆきさんの方を見るとみゆきさんは楽しそうに笑っていた。
「もちろん」
そうして二人は人ごみの中に紛れ込んだ。


上の少しにぎやかな声を聞きつつ剣崎は下の階に下りた。静かな場所でドアが開けられていた。そしてその中にいるのは無機質な瞳でこちらを見据える青年だった。ここに入るのも二回目だと思いつつ剣崎は足を踏み入れた。
「どういう意味だ?気をつけろって」
「言ったとおりだ。あの女は気をつけておいたほうがいい」
感情の籠もっていない様な声が静かな部屋に響く。
「だから、どんなことに気をつけておいたほうがいいんだよ?」
女のことが始にわかるのだろうか、そんなことを剣崎が頭の片隅で思っていた。だが次に返された言葉はその考えを吹き飛ばすほどの威力だった。
「あの女、恐らくアンデッドだ」
冷たい声がやけに響いた気がした。剣崎はといえば口をあけてしばし呆然としていた。いくらなんでも突拍子すぎる。
「アンデッドだとどうして分かるんだ?それに何で虎太郎なんだ?」
だが一つ目の質問に剣崎は自分で答えを見つけていたも同然だった。以前、カードを返しに来たとき始がアンデッドの存在にいち早く気付いたのは忘れていない。だがあの女が上級アンデッドだとすればその目的は?それがわからない。
「さあな。偶然出会ったか、それとも・・・」
「それとも?」
「あいつを利用しようとしているか」
剣崎は背中に嫌な汗が出るのを感じた。以前、伊坂が橘のことを利用したように。どのような形でかは分からないが虎太郎を使って剣崎たちをおびき出そうとしているのかもしれない。だがもう一つ懸念がある。
「待ってくれ」
部屋を出て行きそうだった始は足を止めた。
「実はもう一体上級アンデッドが姿を現している。次も俺のことを狙ってくると思うんだ。それで・・・」
「それで、二体同時に現れたときにお前一人では助けきれなくなる、違うか?」
その通りだった。矢沢が単独で剣崎を狙ってきたのならそれでいい。だが一番困ることは矢沢と戦っている最中にその上級アンデッドが別の場所に現れることだ。そうなれば分身でもしない限り剣崎は相手にできない。そこまで分かっている始なら剣崎に言いたいことも分かるだろう。
「頼む」
剣崎は頭を下げた。もしかすれば跳ね除けられるかもしれない。そう剣崎は思っていた。
「いいだろう」
あっさりと言われて剣崎はさっと顔を上げた。
「本当にいいのか?」
「お前にはカードの借りがある」
レンゲルに解放されたカードのことだった。別に自分が勝手にやったのだからあまり深く考えることが無い気がする、剣崎はそう思った。それともしかしたら・・・
「勘違いするな。俺はあいつを助けるつもりじゃない」
始は釘を刺した。そして剣崎は契約成立とばかりに右手を差し出した。始はそれを見てしばし間を置いた後、唇の端を少しだけ吊り上げてこう言った。
「何のつもりだ?ばかばかしい」
こう返されると思っていなかったのだろう。唖然とした剣崎を見て始はうっすらと笑みを浮かべて部屋を出て行った。


その時間のことは言うまでも無いだろう。色々と見てまわった。雑貨店に入ってカピバラの大きいぬいぐるみを眺めたり、本屋に寄って過去や未来を電車で行き来して時間を守るっていうSF小説に好奇心を惹かれたり、花屋を少しだけ見てやっぱりみゆきさんには蘭が見合うなぁと思ったり。とまぁ楽しい時間を過ごした。そして最後にまたしても喫茶店に入ってみゆきさんにこの前言われていた仮面ライダーのことを差し障り無い程度に話していた。
「で、その仮面ライダーが昨日会った化け物と影で戦ってるんですよ」
その話をみゆきさんは楽しげに聞いていてくれた。それだけで僕も満足だった。
「さすが仮面ライダーを追っているだけあって詳しいですね。私も噂でしか聞いたこと無かったんで昨日初めてみて驚きました」
僕も最初は驚いた。噂でしか聞いたことの無い話、でもそれをどこまでも追い続けてたどり着いた。そして彼らに巡り合った。改めて考えると本当に不思議な縁だった。

そんな会話をしているとあっという間に時間は過ぎていく。僕らが出る頃には太陽が地平線に隠れようとしていた。またしても人ごみにもまれながら歩いていく。そしてちょっとした広場に出たときに声が飛び込んできた。
「楽しそうだな、え?」
人ごみの中にいるのに間近で聞くような声。僕はあたりを見回した。そしてみゆきさんにも聞こえていたらしい驚きと不安を交えながらきょろきょろ見ていた。
「こっちだ」
声がした方に向いた。意外と言うか、声の主は正面にいた。けどそいつが立っているのは僕らから離れた場所。もちろん沢山の人たちが僕とその声の主との間を歩いている。そいつは男だった。へらへら笑いながらこっちを見ていた。僕は咄嗟にみゆきさんを背中に回した。いくら腕力のない僕でもやることはやらなければならない。
「お、かっこいいねぇ。けど守れるかな?」
男はあざ笑う調子で言った。僕は出来る限りそいつを睨みつけてやった。男はおどけたが全く臆する気配が無い。
「怖い怖い。それじゃまた会おう」
そういった途端男は人ごみにまぎれて消えた。あたりを見たけどその姿を捉えることは無かった。肩越しに振り返るとみゆきさんはおびえているような目でこちらを見ていた。
「虎太郎さん。さっきのって・・・」
「分からない。もしかしたらさっき話した化け物かもしれない・・・」
みゆきさんはますますおびえていた。
「安心して。僕はライダーみたいに戦えない。けど・・・守ってみせる」
僕は剣崎君のようにライダーに変身できるわけじゃない、人を救える力もない。けど、さっき言った言葉はを嘘にしたくなかった。たった一人と守ることなら僕にも出来るかもしれない。みゆきさんはといえば動きが止まっていた。
「うわ・・・恥ずかしいな・・・」
改めて考えると何とも躊躇うような台詞だ。顔に血が駆け上がっていくのがわかる。それに反応してみゆきさんは笑った。
「そんなこと言われるといわれるこっちが恥ずかしいですね。けど嬉しかったです」
「行きましょう。またあいつが来るかもしれない。早く」
僕はせかすように言った。これ以上考えたら今度こそ頭が茹でた蛸のようになってしまう。人ごみを掻き分けつついく僕は当分の間、後ろを振り向くことが出来なかった。


「もしそのことが本当だったら白井君に言わなきゃならないんじゃない?」
「そうだけどそれを虎太郎が信じるかどうか・・・」
白井邸に戻っていた栞に剣崎は始との会話を話した。まだ虎太郎は帰ってきていない。だからそんなことを話しているのだがそれを虎太郎に切り出すには少し勇気がいる。
虎太郎は信じないかもしれない。あんなに楽しそうだったし、何よりまずそう思いたくないはずだ。けど話さなかったらそれこそ虎太郎の命が危ないかもしれない」
「仮にその話をしたとしたらかわいそうだけど言うべきなんじゃない?」
「だけどな・・・」
剣崎は口を濁した。まずその話をどう切り出していいか、それを虎太郎が聞いたときにどう反応するか。それを考えると頭が重い。そんな中に話の張本人が帰ってきた。
「ただいま〜」
虎太郎が居間のドアを開けた。手には帰りに立ち寄り今日の晩御飯の食材が入ったスーパーの袋。そしてどこか嬉しそうな表情。それを見て剣崎は戸惑った。
「ごめんね。すぐに晩御飯作るから」
そう言って虎太郎は台所に消えていった。嬉しそうな虎太郎の気持ちとは真逆に真実を知る二人の心境は複雑だ。そして30分くらい経つと晩御飯が出来上がっていた。今日はグラタンだった。

その食後、剣崎はその話を切り出そうと決意した。


女はビルの脇に入った。そこにあるのは誰も居ない都会の闇だった。その闇の中に一つの姿があった。
「何故あそこで姿を見せたの?馬鹿じゃない?」
冷徹な言葉をそいつに浴びせた。そいつは街路樹の下に出てきた、矢沢なのは言うまでも無い。
「何も俺の行動まで制限された覚えは無い。それとも何か?それなりに楽しんでいたのか?」
女は後の質問は無視した。あの無邪気な笑顔を見てしまった今、複雑な感情が渦巻いていた。
「どっちにしろもう少し考えて行動して。ライダーが思ってたより手ごわい存在だってことぐらいわかるでしょ」
「ああ、あの孔雀がやられたってのは意外だったな」
一ヶ月ほど前、剣崎たちの前に現れた最初の上級アンデッドである伊坂のことだった。
「頭の切れるあいつがやれるとは思って無かったわ。だからわかるわね」
昨日とは違い今度は女が殺意をこめた。すると通りに風が吹いて何処からとも無く花びらが舞った。そしてそれは矢沢の周りで舞った。
「わかったよ。もう少し慎重に行動を、だろ?」
矢沢の言葉の後に花びらが消えた。それと同時に女の殺気も消える。
「なら計画は明日でいいんだな?後のことは任せるぜ・・・吉永みゆきさん」
最後の言葉を嫌みったらしく言って矢沢は闇に消えた。一人になったみゆきは一人裏通りに佇むのだった。