始(はじまり)と了(おわり)

カテゴリー1

夏ももうすぐ終わろうとする頃、昼の白井邸では美味しそうな音がしていた。
「うん、家で食べるってのも悪くないな・・・」
剣崎が焼き立てで熱々のそれをほお張っていく。
「そうね、たまにはいいかも」
栞もそういいながらソースをつけて口に運ぶ。
「でしょ?たまにはこんなのもいいよね」
虎太郎は得意げに笑った。三人が机を囲んで食べているのは関西では馴染みの深いたこ焼きだった。たこ焼き機が安売りだったのを虎太郎が見つけてその日の昼ご飯はたこ焼きにしよう、そんな流れだった。虎太郎が型に生地を流し込んで剣崎と栞が具を入れる。そして少し焼けてからひっくり返していく。この作業が中々面白く、普段縁日でしか見ないようなものを自分で出来るからかもしれない。しかし、
「虎太郎、下手だなぁ」
虎太郎がひっくり返した場所だけが何故かぐちゃぐちゃだった。


「名前・・・名前・・・」
男がそんなことを呟きながら歩いていた。その姿は薄青いジーパンに白いタンクトップ、夏でもさらに地味でかつ素っ気無いスタイルだった。
「名前・・決めないと」
その男には名前が無かった。いや、名前があるのかもしれない。ただ『この姿』の名前が無いのだ。そして男は大きな橋にたどり着いた。
「でもまずは・・・に会いに行かなきゃ」
橋の中腹に差し掛かり、後ろからクラクションが聞こえてきた。それを耳にし男は振り返る。
「・・・」
するとバイクと一台の車が男の隣に止まった。
「こんな所で何やってんだ?おつかいでも頼まれたのか、始?」
ライダーがバイザーを下げながら言った。

「こんな所で何やってんだ?おつかいでも頼まれたのか、始?」
剣崎はバイザーを下げながら言った。始はといえば何も言わない。どうせいつも通りなのかと諦めの気持ちが出てくる。ただ、少し目を見開いて・・・驚いているような気がしないでもないが。
「そうだ、せっかくだから」
と言って剣崎は隣に停まっている車から何かを受け取った。袋の中から取り出されたのは発泡スチロールで出来た容器だった。そして蓋を開けるとその中に入っていたのは、
「余ったからやるよ。少し冷めてるけど中々おいしいぞ」
白井邸で作ったたこ焼きだった。作って余ったのも仕方ないのでハカランダで天音たちに食べさせてみようということだった。始はたこ焼きに刺さった爪楊枝を見つめつつそれを手に取りたこ焼きを口に運ぶ。しばしの沈黙。そして、
「うん、おいしい!」
始は満面の笑み、という顔だった。意外すぎた素直な感想に剣崎はうろたえつつ、
「あ、ああ・・・なら良かったんだ。俺たちハカランダに行ってるから後でな」
そう言って剣崎のバイクと虎太郎と栞を乗せた車は発進したのだった。


「始・・・そうかあいつ、始って言うのか」
男はバイクと車を見送りつつ呟いた。そして閃く。
「そうだ。あいつが始なら僕は『了』にしよう」
名前の無い男、了と自ら名付けた男は無邪気に笑った。
「でもあれ美味しかったな・・・」
そして男は歩き出す。どこに行くかは本人も知らないかもしれない。

終わりを示す『了』という名。その容姿は対を成す『始』と瓜二つの姿だった。


ハカランダでは虎太郎たちが持ってきたたこ焼きが早速食べられていた。もちろん遥香と天音だ。
「おいしい!お母さん、今度これ作ってよ」
「そうね。虎太郎今度これの型貸してもらえるかしら?」
「もちろん」
そんな会話がなされていた。そして虎太郎の顔はどこか得意げだ。たこ焼きにかなりの自信があったらしい。自分がひっくり返したのは全部ぐちゃぐちゃだったのに・・・そう思っていた剣崎がそんな様子を少し離れたカウンターから眺めていると背後で足音が聞こえた。振り向くと階段を昇ってきたそいつはいつもの無機質な瞳で剣崎を見た。
「早かったな、おつかいは終わりか?」
「何のことだ?」
始は怪訝な顔をした。
「俺はずっとここにいたが」
「え!?」
剣崎の驚きを他所に天音が、
「始さん!これ食べてみて、すっごくおいしいから」
発泡スチロールの容器に入れられたたこ焼きを珍しそうに見てから始は爪楊枝をたこ焼きに突き刺した。そしてそれを口に運ぶ。
「・・・」
そんな始を見ながら剣崎はまだ考えが追いつかない。ここに始がずっといたというならさっき出会った『始』は誰だ?思い返してみても見間違えたわけが無い。まさか・・・剣崎はとある都市伝説を思い出した。


了はふと立ち止まった。そしてあたりを見回した。
「ん、この匂いは・・・」
その様子は何かを探り当てようとする犬のようだった。了はぴたりと一点を見た。
「あそこだ」
了は歩き出した。行き着いたのは何の変哲も無い小さな神社だった。もうすぐそこで夏祭りがあるらしい、露天がぽつぽつと建てられていた。了はその露天の一つに近づいた。そこでは何かが焼ける音と共に美味しそうな匂いがしていた。店の屋根には『たこ焼き』と書かれていた。
「ねえ」
了がそこにいた男に話しかけた。男は顔を上げた。
「なんだい?」
「これ何なの?」
了はたこ焼きを指差した。中年の男は少し意外そうな顔で、
「たこ焼きだ。知らないのか?」
了は首を縦に振った。男は苦笑いを浮かべてその一つをトレイにのせて了に差し出した。
「俺が食う予定だったけど一つだけ。ほれ、旨いぞ?」
了は嬉しそうにそれを口に運んで、
「おいしい!」
男も満足げだった。そして了は次にこんなことを言い放った。
「ねえ。僕にもこれ作らせてよ」
さすがの男もこれにはたじろいだ。だが了は無邪気な顔を浮かべていて邪険に振り払うことも出来ない。しかたなく、
「いいだろ、こっち来い」
そしてたこ焼きをひっくり返すのに使う金属製の串を了に渡し、
「これをな、こうやってひっくり返すんだ。やってみろ」
了は綺麗にひっくり返したたこ焼きをしげしげと見つめ、隣でさっき男がやったように綺麗にひっくり返した。
「上手いな、あんた」
了は得意そうに笑っていた。


「ドッペルゲンガーを見たんだよ、お前の」
剣崎と始はハカランダを出て近くの神社の境内の裏手に来ていた。これといった意味は無く、何となく人気もなさそうだったからだ。表では祭りの準備なのか露天が次々と建てられていた。
「ドッペルゲンガー?何だそれは?」
剣崎は説明することにした。ドッペルゲンガー、それはこの世に存在すると言われるもう一つの自分。ただの怪談話の類かと剣崎は思っていたがこの目で見てしまったものは仕方ない。だが、
「ふん、馬鹿馬鹿しい」
始に鼻で笑われ一蹴される。
「本当だ。俺はこの目で見たんだよ、お前のドッペルゲンガー」
剣崎がそう言うほど始の目はどんどん冷たくなっていく。ただいつものようは鋭く突き刺すような瞳ではない、馬鹿を見る目つきだった。
「・・・」
剣崎もそれに気付き口を閉じてしまう。一瞬の沈黙、だがまたしても剣崎は口を開いた。
「もしかしてお前・・・」
剣崎は含みを持たせるように言い、
「瞬間移動出来るんじゃないか?」
「馬鹿か、お前は」
冗談のつもりで言ったのにまたしても言葉という力により剣崎は叩きのめされた。近くの岩に腰を下ろしうなだれる剣崎を始はしばし見てから、
「有り得る可能性としては」
剣崎は顔を上げた。
「何者かが俺の姿に化けている」
「・・・一体誰なんだよ?」
「そこまでは分からない」
剣崎は始の言葉を参考にして考えてみた。あのときに会ったもう一人の始、完璧に似ていて姿は始としか言いようが無く人間業ではない。そして人間でない者たちを剣崎はよく知っている。
「アンデッドか・・・」
「その可能性は高い」
だが始に化ける目的は?というところで詰まってしまう。ふと剣崎は思い出した。前に始をカリスと呼び襲ってきた鷲のことを。そいつと同じように始に用があるのなら・・・
「あ、やっと見つけた」
思わぬ声が聞こえてきた。剣崎と始は咄嗟に振り返った。その姿に剣崎は息を呑む。
「お前・・・」
その声の主と隣で驚きの目を向けている始を交互に見比べた。そっくりなんていうレベルではない、完璧に一寸たがわず同じ姿だった。
「やあ」
了がたこ焼きの乗ったトレイを片手ににっこりと笑っていた。
「貴様は誰だ?」
始が冷たい殺気を発しながら言った。
「僕?僕の名は了。終了の了だよ」
その口調に剣崎の調子はどこか狂わされる。
「どうして始と同じ姿なんだ?」
それを聞いて了は思い出したように、
「君がブレイドが。さっきはたこ焼きありがと」
またしても剣崎は躓いた感じがした。そのとき、剣崎のポケットで携帯が音を立てた。
「もしもし」
『アンデッドの反応をキャッチしたわ。橘さんはもう向かってる。場所は・・・』
携帯を切って剣崎は始の方を見た。
「ここは俺がやる。俺の姿をして・・・どうやら俺に用があるらしい」
「わかった。気をつけろよ」
剣崎は走って境内から出て行った。了はその姿を一瞥し始の方を向いた。
「さて、邪魔な人も消えたし・・・」
そして了は笑みを浮かべながら言った。